デザインを軸とした集客のサポートをしています。
独自のストーリーや価値観が伝わるデザインを制作するお手伝いをしています。
個人店事業主さまのために、魅力的で一貫性のあるデザインをご提案します。
略歴・関わったお仕事・保有資格など
制作実績一例
・大手食品店販促ツール
・大手外食チェーン店メニュー、ポスター
・外資系精密機器メーカー製品カタログ及びチラシ
・展示会用パネル、ポスター、大型バナー
・区役所イベントチラシ、ポスター
・慶應大学留学パンフレット
・HPバナー
・地域情報誌広告デザイン
・最大手新聞社運営Instagramアカウント投稿制作
・駅構内看板デザイン作成
・飲食店メニュー表、チラシ、Instagramバナー
・ドレッシングラベルデザイン
・YouTubeバナー、動画
・個人店ロゴ、パンフレット作成 など
略歴
1978年 東京都新宿区生まれ、5歳まで東京都国分寺市で育つ
1984年 神奈川県川崎市へ
1996年 神奈川県立多摩高等学校卒業
▶︎美大受験専門予備校へ
1998年 東京造形大学デザイン学科入学
▶︎中学高校美術第一種教諭免許取得
▶︎普通自動車免許取得
2002年 東京造形大学デザイン学科卒業
2002年 大手印刷会社入社
2003年 大手印刷会社 企画デザイン課へ異動
2005年 外資系精密機器メーカー入社
2007年 結婚
2009年 外資系精密機器メーカー退社
(結婚から2年経っても妊娠できず、本格的な妊活開始)
2009年 広告代理店にパートタイムとして入社
(入社後すぐに妊娠が発覚、9ヶ月くらいまで通いその後在宅にしてもらえる)
2010年 長男出産
2012年 次男出産
2015年 長女出産
2018年 個人事業主として開業
私が大切にしていること
まずは形から、外側から、姿勢・態度から、という考えです。
物事の流れが軽やかでスムーズであるように心がけています。
基本的には目に見えるものが好きで、事実を大事にしています。
人間関係では、信頼と自然体を大事にしています。
起業のきっかけ
結婚・妊娠・出産など人生の中で色々な変化がある中で
自分のペースで長く取り組める仕事で結果を出したいと思っていました。
また、自分の価値観や特性を探る中で、この働き方に辿りつきました。
長くなりますが、以下にその経緯を記載しました。
幼少期〜小学生の頃まで
大人に囲まれて育ったので、自然と大人の顔色や考えを察知して、期待されるように行動していました。
相手が自分をどう見ているかを感じてその通りに行動することが多く、不自由さも感じていました。
大人の思っている自分と違う行動をしていると感じた時、それが良いことでも悪いことでもどこか罪悪感がありました。
子育てをしながらできる仕事がしたい
子どもの頃から結婚・出産願望が強く、子育てをしながら家でできる仕事をしたいと思っていました。
父親は建築家で、私が5歳くらいの時に会社員から独立していたので、何となく自分もフリーで仕事をするのかなと思っていました。
周りの会社員のご家庭は結構裕福で、海外に行ったり早くから受験をしたりという家庭が多かったので、会社員で生きていく方がハードというイメージがありました。
家庭で見る父の姿は、朝遅く起きて出社し、日付が変わってから帰ってくるような状況だったので、どのような仕事内容かだとか、どんな人たちとどれだけのことをしているのかはよく分かりませんでしたが、楽しく仕事をしているように見えました。
母は有名大学を出ていましたが、結婚後はバイトで家庭教師をしたりしていたくらいで、私が子どもの頃はほとんど家にいて家事をしたり、同居していた祖父母の食事を作ったりしていました。
母は『子どもの頃から建築家になりたくて、建築学部を希望していたけれど、父親(私の祖父)から「女のやる仕事ではない」と反対された』とよく私に話していました。
好きなことを仕事にすれば成果が出せるのではないか
母が私に「建築家になりたかった」といつも愚痴っていたことや、結局は苦労して学校に通い二級建築士の免許をとったことや、家の中にある父の大量の建築雑誌、休日や夜中も仕事をしているところなどから、好きでやっているのだろうなということは伝わってきました。
私自身は、建築に対しては父母ほど興味を持てませんでしたが、将来仕事にすることは好きなことにしようと考えていました。
そうでないと没頭できないし、その物事に時間をかけられなければ、結果も成果も出せないと思ったからです。
自分自身はこれといった得意なことがあるわけでもなく、学校の成績はどの教科も同じくらいにできるといった感じだったので(体育以外は、ですが笑)色々な選択肢を考えましたが、デザイン関係の仕事に関しては親の後押しが大きかったので、高校の時に美大受験を決めてデザイン系の道へ進みました。
向いていることか、やりたいことか
美術大学は大きく分けると芸術関連(絵画や彫刻、工芸など)とデザイン関連に分かれ、デザインの中では立体デザイン(オブジェやランドスケープデザインやインテリア、家具などのデザイン)と平面のデザイン(広告デザイン、編集など視覚デザイン、写真、映像など)があるのですが、予備校時代に受験学部を決めるときに立体デザインの方を専攻しました。
周りから褒められることが多く、自分はこっちの方が向いているのではないかという思い込みがあったと思います。
今思えば平面のデザインも向いていると言われたり、褒められることもあったのですが、グラフィックデザインは人気が高く、派手な印象があったので勝手に引け目を感じていた部分がありました。
一方で立体デザインの方は構造力学や建築法規といった専門的な知識が必要で、今の私には全く分からないので無理だと思いますが、当時はこちらの方が簡単なように思っていました。
「美大生」になりきれなかった私
大学3年生になって実際に就職を考えたときに、デザイン系の仕事をするということがあまりイメージできませんでした。
美大に行ったからといって特別アーティスト的な趣味や志向はなく、時々美大生らしい格好はしてみるものの、基本的には一般ウケする物が好きで、よく読んでいたファッション誌はCanCamでした。
子どもの頃からの、結婚・出産したいという思いはずっと変わらず持ち続けていたので、自分に合った結婚相手を見つけるということが全ての行動の起点になっていました。
よく遊ぶ友人も地元の友人が多く、バイトはいつも接客業で不特定多数の人と会う仕事や移動が多いような、変化や流れのある仕事が好きでした。
なのでそれとは真逆の、オフィスで一つのことに長期に渡ってじっくり取り組むという、デザインの仕事のイメージがつきづらく、好きなことであってもできるかどうか不安しかありませんでした。
また、仮に仕事がものすごく楽しくて没頭できるものだったとしたら、婚期を逃してしまうのではないかという恐怖もありました。
続けられる仕事のスタイルとやりたい仕事、目的とのギャップの中で
そのようなことから、美術教員を目指していた時期がありました。
ある程度動きのある仕事だと思いましたし、教育や人にも興味があったので楽しくできるのでは、と良い面だけを見て、楽観的に考えていました。
私の通っていた大学には教員試験に関して指導してくださる教授がいて、同じように教員を志望していた友人と研究室に通って最初は楽しく勉強をしていました。
ただ勉強していくにつれて、教員というお仕事はすごく重労働で時間も拘束されますし、責任の重い仕事ということを肌で感じました。(もっと早く分かるべきだったのですが・・・)
教育実習にも行きましたが、よりその思いが強まっていきました。
それに、私の目指していた公立学校の教員というのは、当たり前ですが、ビジネスではないということが、最終的にはとても大きく引っ掛かりました。
子どもの頃から好きなことを仕事(=一定の成果を上げるもの)にしたいと思ってきたところがあったので、成果を得るような仕事ではないということが、目的をどこに置けば良いのか、自分の時間との切り分けをどうすれば良いのか、それが割り切れず混乱した気持ちになっていきました。
大学4年の夏からはじめた就職活動
大学4年までは教員を目指していましたが、夏に教員採用試験を受けて不合格通知が届いた時に、残念な反面どこかどこかホッとしている自分がいました。
会社員の方が、場所も職種も好きなように選べて自由な服装で通えるし、どうしても辞めたい時は辞められるということで選択肢が拡大し、とても自由に感じました。
もうすでに内定をもらっている人たちがたくさんいましたし、有名企業などはもうどこも締め切っている時期でしたが、それまでの人生、大学受験等で散々挫折してきたので、どこか就職できればいいやという気持ちで特に焦ることなく、大学に来ている求人票の中から気になったところへ連絡し、受けに行きました。
はじめはアパレルから工芸関係、販促関係などなど受験資格に自分が当てはまるものを、興味半分、特に一貫性もなくなく受けていました。
その中で、気になった会社がひとつありました。ディスプレイの会社で、説明を聞いていて初めて実感が湧きました。
イベントに向けてディスプレイを考えて、設置などにも携わるというような仕事内容はとても魅力的で、話も弾んだように思いました。
受かっていたら良いなと強く願いましたが待てども待てども連絡はなく、諦められずこちらから連絡したらその次の日に不採用通知が届きました・・・。
やっと拾ってくれたところがあった!
2001年から2002年へ、大学最後の年越しをし卒業を目前に控えた頃、面接した印刷会社の担当者に気に入られてようやく2次試験・3次試験と進むことができました。
忘れもしない、自分の誕生日の日にたまたま面接があり、今日が誕生日です!と言った記憶があります。
仕事内容は印刷物の版下制作ということで、主に新聞の折込チラシが主体でしたが、今まで受けてこなかったグラフィック系のお仕事でした。
面接官には、「なんか向いてそうな気がする」というようなふわっとした理由を伝えられた記憶がありますが、そのような理由でも採用してもらえたのにはとても感謝しました。
待遇はというと、残業の割には初任給がびっくりするほど安くて、面接待ちの時にびっくりしていたら同期にこの職種は皆このくらいだよ!と言われて、そっか、好きなことを仕事にするってこういうことなんだ・・・とはじめて理解しました。
でも、好きな仕事であることは確かだったと思います。
立体デザインを専攻してきて、デザインソフトもろくに使いこなせなかったのに、このような流れでグラフィックデザインの方へ進めたことはとても幸運なことでした。
好きなことを仕事にした弊害
程なくその印刷会社に合格通知をもらい、やっと通い始めることになりました。
新横浜にオフィスがあり、自宅から近いことも志望理由の一つでしたが、私が入社して1ヶ月あまりで会社ごと横浜の反町に引っ越しました。
一日中パソコンに向かっているオフィスワークは体験したことのないお仕事でしたが、部署の雰囲気も合っていてなんとかやっていくことができました。
ただ、基本的に残業が多く終わるまで帰れなかったり、深夜に渡ることも多々ありました。
また、印刷会社だったので、デザイン性のない作業的な制作物も多くありました。
入社2年目からは企画制作課という印刷物の企画やデザイン専門の部署に行きましたが、お仕事内容は大手スーパーのチラシであることが多くありました。
それで、最初の頃はかなり荒れていました・・・
まだ新人だったのでしょうがないと割り切り、目の前のお仕事に全力投球していれば良かったことなのですが、自分に回ってきたお仕事の意味を深く考えすぎたり、人と比べたり、ほとんどは自分勝手にジャッジをしていたせいで心穏やかにいられず、周りの人とも心から打ち解けられないままでした。
仕事が楽しいと思えた時期
はじめは関わるお仕事の見栄えの良さだけを気にしていたので気づかなかったのですが、私のいるチームで取り組んでいたスーパーのチラシは大手のチェーン店だったので、会社内での重要度は高く、大きな金額が動いている仕事でした。
なので、商品撮影やレシピのための調理などもとても本格的で、経歴のあるディレクターが付いてデザインを指示してくださっていたので、とても良い経験が積めました。
仕事で関わる人たちもとても熱意のある人たちだったので、仕事が楽しいと思えるようになりました。
お給料は相変わらずでしたが、上限まで残業をしていたので好きな服を買ったり、一人暮らしもできるようになり、忙しかったけれど充実した日を過ごせていました。
転職の二者択一
就職して3年半で一度転職をしました。
私が中学生くらいまではバブルの時期でしたが、中学生くらいの時にバブルが崩壊し、就職した年2002年は就職氷河期と呼ばれていました。
就職するのはそれなりに難しく、転職後に条件の良いところに就職できるかどうかは未知で、永久就職という考えもまだまだ染み付いていた昭和世代・・・特に最初の3年は同じところにいなければという価値観は根強く染み付いていて、転職に踏み切るのはそれなりに勇気が入りました。
だだ、動き出してみると私が転職活動をしていた2006年辺りは一時的に好景気で、一旦会社を辞めてからの転職活動でしたが、2社から内定をもらうことができました。
今まで2つのところを同時に受けるということをしたことがあまりなく、あったとしても第一志望が明確に決まっていた上でのことでしたが、この時は2社とも同じくらい行きたいと思っていたので迷いました。
続く・・・(後日更新します)
好きなこと・人・モノ・本など
実はあまりマニアックな趣味もこだわりもなく
すごくのめり込むような推しもいなければ
好きな本は有名な著者のベストセラー本で
若い頃聴いていた曲もその頃流行っていたメジャーな邦楽ばかり
(なので、カラオケは得意ですが笑)
そのようなところが結構コンプレックスでもあったのですが
皆様の知っている人・名称ばかりだと思いますので、一部ご紹介します。
好きなスポーツ
水泳やスキーが好きです。
子どもがやっていることもあり、バスケとテニスにも興味を持つようになりました。
学生時代は部活動で空手をやっていたので、空手も好きです。
今でもテレビなどで見ると気持ちが高まるのですが、やる機会がないのでいつかまたできたら良いなと思っています。
好きな本
若い頃は小説がほとんどでした。高2の時に母が買って読んでいた火車を読んだのをきっかけに推理小説にハマりました。
就職してからはビジネス書や自己啓発本ばかり読むようになりました。
作家別一番好きな作品〈敬称略〉
・吉本ばなな(NP)
・林真理子(野心のすすめ)←起業のきっかけにもなりました
・江國香織(僕はジャングルに住みたい)
・山本文緒(寿)
・宮部みゆき(火車)
苦手なもの・こと
思い込みが強い人に、こうだ!と思い込まれるのが苦手です。←母がこういう傾向があったので。笑。
こういう状況になると、とても息苦しくなってしまいます。
もちろん誰しも思い込みはあると思いますし、自分もそういう部分はあると思います。
その上で、自分にとって足枷になるような思い込みは外せたら良いと思っています。
関わる方とはお互いに思い込みを外していけるような関係性でありたいです。
囚われのない生活をしていきたいです。
苦手な食べ物
・食べ物は、ほとんど苦手なものはなく何でも美味しく食べられる方ですが、お吸い物などに入っている茹でた状態の鶏肉の皮は苦手です。
苦手な場所
・田舎のコミュニティのような、閉塞感があって密な集まりが苦手でしたが、気づけば最近は複数の地域のコミュニティに関わるようになりました。
トラウマレベルで苦手なこと
・小5の時に怖いもの見たさで興味を持ったものが本当に苦手なモノになりました。(苦手過ぎて書けません。現在克服中です。)
・上記のことと関係しているのですが、あまりに年季が入っているものや念が入っているようなものが苦手です。